【3月23日(水)】献血活動を行いました。
3月23日(水)真岡市内のビックエクストラ駐車場にて、献血活動を行いました。
実際に献血を行うメンバーはもちろんの事、プラカードを持っての呼び込み活動や、会社の社員・知り合いに協力を呼びかけるなど真岡青年会議所として献血活動を応援することができました。
当日の献血できた実数として、200ml献血が12名、400ml献血が49名と多くの方々にご協力を頂ける結果となりました。
また、骨髄バンクへの新規登録者も15名と多くの方にご支援いただけました。
真岡青年会議所は、昭和45年の真岡青年会議所認承証伝達式の記念行事として第1回の献血事業を行いました。
戦後、輸血の方法は売血が主流でした。また、交通事故や、手術など大量に血液を必要とする時には、親族を頼るしかありませんでした。
売血は売血者による貧血や輸血を受けた人の感染症など弊害が次第に出てくるようになり、昭和39年の閣議決定以降、献血による無償提供に移行していきました。
当時の真岡青年会議所はその動きに先駆け、安定的に献血を拡大するためには、組織的な献血活動が重要であるという認識の下、真岡市を中心に各事業所や関係機関との連携を進めました。昭和47年、チャリティーイベントによる資金を寄付し、当時の岩崎市長を会長として真岡市献血相互協会を設立し、現在でも真岡市献血相互協会は真岡の相互連帯意識に基づく献血活動の拠点として、青年会議所だけでなく各種事業者様と協調し献血活動を変わらず推進しております。
現在では、必要量のほとんどが献血で確保できるようになってきていますが、近年の傾向として、医療技術の進歩や、高齢化社会によって需要が増加傾向にあり、より一層の協力が必要です。
これからも、真岡青年会議所メンバー一丸となって献血活動を応援して参ります。
【真岡青年会議所 献血組織化運動の歩み】
昭和39年 ライシャワー事件
昭和39年 閣議決定「献血の推進について」
昭和45年 真岡JC第1回献血 真岡JC認承証伝達式記念事業として
昭和46年 街頭放送にて市民への協力呼びかけ
昭和47年2月 日本青年会議所関東地区協議会で献血ネットワークの確立を決定
昭和47年3月 栃木ブロック協議会内で献血ネットワークの組織化を提案
昭和47年4月 市民総合意識調査 「市民の献血への関心度」
昭和47年4月 ライオンズ、ロータリーの両クラブへ献血協力の呼びかけ
昭和47年6月 市民意識調査の結果を新聞折り込みチラシで発表
昭和47年9月 献血組織化について真岡保健所へ
昭和47年10月 「五木ひろしチャリティショー」で献血組織化PR及び献血意識高揚活動
昭和47年11月 市役所衛生課と発起人会の打合せ
昭和47年11月 真岡市献血相互協会設立準備委員会発足
昭和47年11月 岩崎市長を会長に真岡市献血総合協会発足